対州そばについて
対州そばのふるさと 対馬(つしま)
日本の今の文化のおおもとは、すべて大陸から伝わったと言われます。
その伝来の途中で、すべてのものが対馬をとおって日本に入っていきました。
長い歴史の中で、対馬は常に最先端でした。
時代は変わり、日本の中心が東にうつり、対馬は辺境の土地としてとりのこされました。
本土から離れた不便さゆえか、
古い時代に伝わった、技術やことば、日本人の原点ともいえる習慣や雄大な自然の数々が、都会化の波にのまれずにそのまま各地にのこっています。
動物も植物も。
大陸のもの、日本のもの、対馬で独自の進化をとげたもの。
珍しい動物や1200種の植物。
海面から山のてっぺんまで、全国各地の植物相は、すべて対馬で見ることができます。
海の魚も。
海には対馬海流が流れ、西には1000m超えの深い海溝。潮目となる対馬は、格好の漁場です。
多くの魚が、対馬沖から日本各地へ泳いでいくのです。
空の鳥も。
渡り鳥の十字路とよばれ、北海道から沖縄まで、日本中の渡り鳥が一箇所で観察できる対馬。
それらすべてを維持できるのが島の89%をしめる森林と、ふかく豊かな海。
自然のパワーがあつまる強力な「場」ができているのかもしれません。
都会化にのまれていたら、こうはいかなかったでしょう。
対馬はいわば、日本のいのちの源、そして日本人のタイムカプセルなのです。
対州そばと対馬の人の営み
対馬のタイムカプセルの中にしまわれた宝物のひとつが、対州そば。
対馬のそばは粒ぞろいよく緑みが強く、風味は格別です。
古く大陸から伝わったそばの種が、品種改良されないまま、原種に近い状態で伝わっています。
肥沃とはいえない対馬の土地で、なけなしの養分を上手に利用する先人の知恵(「木庭作」という焼畑農法)によって細細と作られ、島の人々の重要な食料となっていました。
対馬のそばは、作り方も、食べ方も、地域独特のものです。
つなぎなし、100%の十割そばを、熟練の技術でちょっと太めに打ち、できたてを、これまたじっくりと煮込んだ地鶏のスープでいただきます。
最高。
対馬のごちそう、「いりやき鍋」のしめにも、各家庭に伝わる秘伝のそばが使われます。
対州そばは、島のソウルフードとして、今でも誰もが新そばの時期を心待ちにするほど愛されています。
対馬のそばが美味しいのは、
対馬の自然のパワーがこもった様々な食材や、人々の知恵との相乗効果があるからかもしれません。
※そば愛好家の中ではとても評判のよいそばですが、生産量が限られるため、島外にはほとんど出ていません。
※一時期、一般の品種との交雑の危機もありましたが、六年に渡る種子更新で、純粋な対馬そば以外は追い出されています。
※対馬のそばには、名前がなく、ただ「そば」と呼ばれていたようです。種子更新のころからか、いつしか対州そば、とよばれるようになりました。
なけなしの畑でつくられたそばの実を、楽しみに楽しみに、刈り取るのが10月。
農家さんの手からこぼれ落ちた、そばの種。
寒い寒い冬を越え、春の日差しの中で芽吹くのです。
山の木々がまだ枯れ木の時期、そば芽はすくすく育ち、畑いちめん、うつくしい、緑の絨毯のようにもなります。
それが、対州そば青汁の、はじまりです。
※春に芽吹いたそばの芽は、対馬の環境では実をつけることはありません。